写真で綴る良寛さんの足跡出雲崎、和島(小島谷)、寺泊郷本、国上は、前々から、一度は訪ねたいと思っていた良寛さんの里です |
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7月24日 尼瀬の町並み 良寛さんは、出雲崎の名主橘屋、父以南、母のぶの長男として生まれる、 出雲崎は佐渡の金銀の陸揚げ港として栄えた、橘屋は回船問屋として、江戸への搬送を一手に担う代々町一番の大店であった、 しかし、尼瀬の京屋が橘屋に対抗するようになる、商才や政治力に長けた京屋におされ、佐渡渡船の港は隣の尼瀬に移され、代官所も移されてしまう、 橘屋の家運が傾いた頃に生まれた良寛である |
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母の故郷の佐渡 たらちねの母が形見と朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも 良寛 |
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北国街道 金銀を江戸に運んだ道 |
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妻入りの町並み |
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良寛18歳で名主見習いとなる、 名主見習いとして、罪人の処刑に立ち会わされたことが、出家の一つとされているが、 幼少、少年期は人見知りをする内向的な性格で、学問を好み論語などを寝食忘れて読みふける少年であり、家業にむかない性格だったようだ |
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光照寺 18歳で突然出家した曹洞宗の禅寺です、 4年間修行に励み22歳の時、円通寺の国仙和尚が諸国巡礼のおりに立ち寄った、良寛は国仙に入門を許され、師に伴い円通寺に旅立つ 国仙和尚が亡くなるまで、11年間、円通寺で修行する。 |
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良寛剃髪の石碑 |
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光照寺 |
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庭の蓮 |
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庭に咲く花 |
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アジサイ |
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良寛記念館の門 |
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記念館内に建てられた五合庵 |
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記念館の庭 |
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展示室 |
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良寛体の書、多く展示されている |
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記念館横の丘にある良寛像 この里に手毬つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし 良寛 |
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記念館の丘よりみた良寛堂 良寛堂は橘屋の跡地に建てられた |
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良寛堂の像 良寛さんの見ている先は いにしえにかわらぬものは荒磯海とむかいに見ゆる佐渡の島なり 良寛 |
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寺泊 郷本の石碑 34歳となった良寛は円通寺をでる、 出世欲など皆無な良寛は5年間の漂白の旅にでる やはり故郷は忘れがたいのであろう、漂白ののち帰ってくる しかし、生家のある出雲崎は素通りし、郷本の塩炊き小屋に住みついた。 良寛の生家は弟の由之が当主であったが、橘屋は廃業寸前であった、後、由之の代で家財没収のうえ所払いとなる 来て見ればわが故郷は荒れにけり庭もまがきも落葉のみして 良寛 |
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海岸の塩炊き小屋があったあたり |
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托鉢でまわった郷本の家並 |
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越後の古刹、国上寺 |
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横に大師堂がある、 この春、四国八十八ヶ所の半分回ったのは、何かの縁かと御参りした。 |
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緑の美しいお寺だ |
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五合庵は、国上寺を少し下った所にある |
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杉林の中に佇む小さな庵だ、 良寛40歳から中断はあるが59歳までこの庵に暮らした。 |
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眼下に、国上の集落が広がり、修行の場となった 広さは3mx4mほどで、むしろ敷きで、戸はなく、菰すだれのみの粗末なものだ 我が宿は竹の柱に菰すだれ強いておしませ一杯の酒 良寛 清貧に徹し、何事にもとらわれない生活をおくった |
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ここで座禅し、書を書き、詩歌を読む日々、 天気がよければ、国上の急坂を下って、托鉢にでた しかし、ここは豪雪地帯で、粗末な庵の冬は過酷だった。 埋み火に足さしくべて臥せれども今度の寒さ腹に通りぬ 良寛 |
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良寛さんの思いに少しでも触れようと、庵に座っていると蚊にさされてしまい、現実に引き戻されてしまう、凡人のかなしさよ、 良寛さんが片足(片手か?)を蚊帳から出して寝ている、不審にに思いたずねると、蚊は生きるために血をすわねばならない、両足をかまれると痒くてたまらないので、片足をさしだしたと言ったとか。 |
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五合庵から良寛のみた国上の集落 |
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乙子神社へ下る 良寛59歳、老境の身には、五合庵の急坂はつらく、乙子神社の草庵に移る |
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乙子神社 |
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鬱蒼とした杉林のなかにあり、五合庵より暗く感じる 老い衰える69歳までここで暮らす。 うま酒を飲み暮らしにけり腹からの眉白妙に雪がふるまで 良寛 弟が来たときに詠んだ歌 |
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良寛終焉の地 木村家 托鉢による生活は困難となり、良寛を敬愛し支えた木村家が、庵室を提供しようとしたが、裏の小屋に 住まわせてもらうことにした。 |
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木村家正面 |
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屋敷の裏には回れない、このあたりか |
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良寛70歳、貞心尼30歳 良寛を尊敬する貞心尼がたづねてきた、 君にかくあひ見ることのうれしさもまだ覚めやらぬ夢かとぞ思う 貞心尼 夢の世にかつまどろみて夢をまた語るも夢もそれがまにまに 良寛 |
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隆泉寺 生き死にの境離れて住む身にもさらぬ別れのあるぞ悲しき 貞心尼 |
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隆泉寺内にあるお墓 右、良寛の墓、左 弟 由之の墓 良寛74歳 |
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もくもくと雲のわく暑い昼下がりでした 形見とて何か残さむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉 良寛 私のような凡人にはかなわない、世俗的なこだわりを捨て、完全自由の生涯をおくった人です、多くの書、和歌、漢詩をのこし、人生を楽しんだ人ともいえます。 |
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